2.シャルル・ボードレール朗読劇
mercredi 5 mars 2003, Paris / samdi 22 mars 2003, Tokio up

パン屋さんからの帰り道、うちの近所にあるお店の入り口に
ボードレールのポスターが貼ってあるのを、その時突然気づいた。
ちょっと目を疑ったが、それは確かにボードレールのポートレートだった。
(なかなか紳士的でよい、よい)
すぐにメモを取りたかったが私の右手にはさっきパン屋で買ったイチゴ・タルトが。
そこで猛ダッシュで家に帰り、
イチゴ・タルトをテーブルにおくとまたさっきのお店まで猛ダッシュした。
ふむふむ・・
「Un certain Charles B...」
「du 19 fevrier au 23 mars 2003」
(2003年2月19日から3月23日まで)
ああ、よかったまだ間に合う!
よく通る道なのに今までまったく気づかなかった。
(普段ぼーっと歩いてるからなんて声が聞こえてきそう)

パリの街のいたるところに、
美術館やらお芝居やらの宣伝ポスターが貼ってある。
メトロのでかでかした宣伝よりも、
ブラッスリーやカフェ、お店のガラス張りの壁に貼ってある宣伝のほうが
味わいがあって好きだな〜。
道行く人に見えるように貼ってあるのもうれしいし。
さすが芸術と文化の国、フランス!(拍手!!)
この点においては、
アトラクションやデートスポットが好きな日本よりも少々お堅くても芸術と文化が
普通に市民に溶け込んでるフランスっていいな〜と思う。
気に入ったものがあればもちろんそれに越したことはないけど、
宣伝ポスターを見ているだけでも楽しい。
いつどこで情報を発見できるかわからないから、
街に出た時もチェックしておかなければ、と思った。
自分の気にいったものを見つけた時は
自分だけのような気がして得した気分になる。
ちなみにこの日から2日後、
もうボードレールのポスターは違うポスターに取って代わられていた。

このお芝居はパリ市の主催らしい。
さっそく次の日に、夫に予約の電話をしてもらったが、予約は要らないとの事。
だからその日に行くことにした。
パリに住んで初めてのお芝居鑑賞に私はどきどきした。
それにちょうど今勉強中のフランス詩だし、なんて運がいいの〜
なんて浮かれたが、パリなら珍しくないことなのかも・・
場所は「モリエール劇場」( Theatre Moliere) で、
「詩の家」(Maison de la poesie)となっている。
ということは、フランス詩を中心にしたお芝居専門の劇場なのだろうか?
となると、フランス詩好きの私にはますます興味深い。
そこはシャテレのすぐ近くだ。
個人的にここの界隈はあまり好きではない。
人が異様に多く、歩きにくいし、わかりにくい。
それに変な人が多い。なんか劇場がある場所にふさわしくないような・・。
駅から歩いてすぐのところにパッサージュが!
そのパッサージュの中に入っていくとああ、ありました。
「モリエール劇場」が。
パッサージュの中は外の喧騒とはうって変わって、静かで、落ち着いていて、
劇場のある場所にふさわしかった。
それに劇場の外見はこじんまりとしてとても美しかった。

開演は7時から。
なのに夫との待ち合わせにちょっとした食い違いがあり、
少し遅れてしまった(;;)
次の日にしようかと思ったが、気がつくともう入ってしまった(;^^)

案内係のマドモアゼルが私達を座席まで案内してくれた。
私達は二階の座席に案内された。
(一階はほぼ満席のようだった)
暗く静かで俳優のよく通る声だけが響いている。
言葉の意味が日本語のようにすんなり入ってこない分、音楽のように聞こえる。
お芝居独特の雰囲気。
なんだか悲痛な予感・・・・
一目見た瞬間
「あああ〜暗い!」
なんて思ってしまった。
私はボードレールについての知識はほとんどない。
知っていることと言えば、
「憂鬱な近代人」
「梅毒病み」
「破滅型の詩人」
これくらいだろうか。
この芝居についての知識ももちろん(?!)なかった。
この俳優はボードレールを演じているのか?
舞台はとても質素だ。
ある男の部屋。
テレビが置いてあるので、彼はボードレールではなさそうだ。
机が置いてあり、その上にワインと本、原稿、電話などが置いてある。
そして舞台の右手前にバレリーナの衣装、左手前におもちゃのピアノ。
そして左奥にはしごがかかっている。
舞台風景はずっとこのまま。
音楽もない。
青や緑、オレンジや赤のはっとするほど鮮やかな照明。
なのにどこか翳りがあり、憂鬱なこの男の気持ちをうまく表しているようだった。
終始陰鬱な表情で、時にむせび泣き、時に怒り、
ワインを飲み干し、大の字に横たわり、
酔っ払いのように、はしごの上で暴れてみせながら、
彼はボードレールの詩を暗誦する。
私のフランス語力では残念ながら全部はとうてい理解できなかったが、
「Harmonie du soir」がわかった時はとてもうれしかった。
緑の細長い照明の上を、彼は首をたれ、ぼんやりと歩きながら、
「Harmonie du soir」をくちづさむ。
恋人からかかってきた電話に、「私は眠りたい、生きるより眠りたいんだ」って
これもボードレールの何かの詩の一節からだろうか?
もう少しボードレールの詩を読んでおけばよかったなぁ!
少し後悔してしまった。
それでも詩の余韻というのだろうか、
言葉の意味は無理でも響きを体全体で感じようと思った。
フランス詩の美しい響き。
俳優の魂がボードレールの詩に入り込み、言葉が生きていると感じる瞬間だった。
ボードレールの憂鬱が伝わってくる。
それと、すばらしかったのはもちろんこの俳優さん。
1時間15分、たった一人で演じきった。
それが仕事だからと言われればそれまでなんだけど、
すごいと思わずにはいられなかった。
そして幻想的な照明は、このお芝居のもう一人の登場人物のようだった。
こういう形のお芝居があるということを初めて知ることができたし、
この夜、私は大満足だった。

さて、この劇はいったいなんだったのだろう?
(おいおい・・;^^)
私がわかったことは、俳優演じるある男が、ボードレールの詩を通して私達に、
ボードレールのことを語りかけた、ということ。
もう少し具体的に知りたいと思い、パンフレットをもらって読んでみた。
つたない訳で申し訳ないのだけれど、せっかくだからここに紹介しようと思う。
それでもなんとかわかったような、わからないような・・(;^^)

「俳優、エマニュエル・ドゥポアはシャルル・ボードレールについて
普通ではない運命のように、散文の明らかな形を取っている時でさえも、
成し遂げられた人生の一例が詩的なすぐれた言葉を通して私たちに語りかける。
ボードレールを受け継ぐものは、計り知れない。
彼のこだまは無限だ。
ランボーは彼の中にもっとも偉大なもの、たった一人の「見者」を見た。
シュールレアリストの動き自身が、ボードレールを引き合いにだした。
なぜなら、それは文学や詩の創造を、
適応しない人生のスタイルの具体化の探求と結びつけることができるからだ。
「モラルの上のシュールレアリスト」とアンドレ・ブルトンはいった。
この後継者は現代までさかのぼる、
なぜならボードレールは断固として、モダンだからだ。

'Les Fleurs du Mal'
'Petits poemes en prose'
'Mon coeur mis a nu'
'Fusees....'

より選ばれたテキストだ。
私達は様々な角度からボードレールを発見させられる。
彼の生きた時代の批判と同時に皮肉や道徳者、旅行者、
するどい心理学者の観察者であり、同時に聡明で、そして夢想家になる。
若いヴェルレーヌはボードレールの中に最初の「呪われた詩人達」として生きた。

このお芝居はジョエル・ドラギュタンの演出で、
想像できないほどの感受性の男のドラマ、
時代の先取り(彼は予言的な芸術の批評家になるだろう)、
必ずすべての偉大なクリエーターのドラマを私達に連想させるだろう。
この劇は、天才で耽美主義で、
紳士であるシャルル・ボードレールの官能的で隠喩(メタファー)に富み、
素晴らしい言語や表現力の十分な言葉に最適な場所である。
それは同時にこの男のオリジナリティーと作品の広大さを表現しつつ、
2重の劇作法に値する」

Satoko


<メモ>

Theatre Moliere Maison de la Poesie

Entree du Theatre
Passage Moliere: 157 rue Saint Martin Paris 3 e
Tel : 01.44.54.53.00
Metro 11番線 Rambuteau


ボードレール伝 ボードレール伝

著者:アンリ・トロワイヤ / 沓掛良彦
出版社:水声社
本体価格:4,000円

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